INTERVIEW
デザインする
- 中井 祐(なかい ゆう)教授
- 1968年生まれ。博士(工学)。専門は景観論、土木構造物・公共空間のデザイン、近代土木デザイン史。土木学会デザイン賞最優秀賞、土木学会論文賞など受賞。著書に『近代日本の橋梁デザイン思想』など。主なプロジェクトに片山津温泉砂走公園あいあい広場(石川県加賀市)ベレン公園図書館(コロンビアメデジン市)、大槌町復興計画策定支援(岩手県大槌町)など。
- 中井先生の仕事についてお聞かせください。
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ぼくは、一般にイメージされる研究者とすこしちがうところがあって、学術的な研究だけでなく、専門的な知見や経験を生かした実践活動を重視しています。研究と実践の二本立てですね。
まず研究についてですが、風景は人間にとってどういう価値をもつのか、景観や風景に価値を生みだすメカニズムはなんなのか、といったことに関心があります。駒場の学生のころは、設計やデザインに興味があったので建築学科に行きたかったのだけれど、成績があまりに悪くて留年して、結果として社会基盤学科(当時:土木工学科)に流れついて、そこで景観や風景という専門領域に出会って、人生が変わった。きっと、もともと風景が好きだったんですね。留年して、ほんとうによかった(笑)。
ただ、デザインもやっぱり好きだし、それに工学としての社会基盤学は、ただ研究室で本を読んで考えていればよいというわけではなく、研究で得た経験を社会に還元し、問題解決に貢献することが求められます。ぼくの専門分野の場合は、じっさいに、よりよい風景や景観をつくっていく活動がそれにあたります。街路、広場、河川構造物などのインフラや都市基盤施設をデザインし、あるいはまちづくりを通じて市民と議論しながら、魅力的な風景をつくっていく。それが実践です。 - 最近取り組んでいる仕事の特徴について教えて下さい。
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20年ほど前は、道路や橋や川など、個別の空間づくりがメインテーマでした。子供たちが遊びさまざまな生物が育つ、みなに愛される河川空間をつくるにはどうすればよいか。日々ひとびとが集い、町のシンボルになるような広場をどうデザインするか。川にしても広場にしても、それ自体は景観を構成する要素のひとつにすぎないのですが、その個々の要素を、人間が暮らしていく場所として、すこしでもいい空間にしていく、そういう仕事でした。
だけどつくづく感じるのは、ただ格好のいい橋をつくっても、気持ちのよい川をデザインしても、道がきれいになっても、それだけで町は元気にならない、ということです。施設や構造物が個別に美しくなるだけでは、町の風景はイキイキしてこない。だから、研究の方向性もすこし変わりました。最初のころは、土木構造物の景観やデザイン史をテーマにすることが多かったのですが、最近は、景観や風景をつくる主体としてのコミュニティに焦点をあてた研究が増えています。
あわせて実践活動の内容も変わりました。以前は国や県のインフラ整備事業に関わる仕事がほとんどでしたが、あるころから、基礎自治体(市町村)の首長さんが、悩みを直接ぶつけてくることが多くなりました。インフラの整備や景観の形成を通じて町に元気をとりもどしたいのだが、どうすればいいのか、と。いま、とくに地方の都市はどんどん活気をうしなって、それが景観の劣化にあらわれていますからね。つまり、中長期的なまちづくりの戦略をたてて、そこに個々の空間や施設のデザインを戦術的にきちんと位置づけて、かつ市民と直接コミュニケーションをとりながら、じっくりと腰を据えて風景の再生にとりくむやりかたを開発する必要がでてきたのです。町全体の将来をにらみつつ、街路や広場や川などの個々のデザインはどうあるべきか、そのデザインがどのように土地のコミュニティに刺激をあたえて、町の景観形成にどのように寄与していけるか、そういうことが実践活動における主題になってきました。そんななか、東日本大震災が起きました。 - 復興といえば社会基盤という印象がありますが?
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たしかに、東日本大震災からの復興は、自分の専門のどまんなかの仕事だ、という感覚があります。今回の復興事業のように、町のすべてをつくりなおすといった仕事は、普通は経験することはできません。いわば、ハードボイルドな社会基盤、土木技術の極致の世界です。しかし、インフラや建造物を復興すればこと足りるわけではありません。人口が増えて、それを活力の源としてあてにできる時代は終わりましたし、とくに三陸はどんどん人が減っています。数が減るぶんは、コミュニティとしての結びつきや自治力の強化でおぎなう以外にないでしょう。ですから、ハードボイルド系の仕事はもちろん大事だけれども、それだけで町は復興できない。人口が減って高齢化が進むことを前提に、ていねいに地元のコミュニティにかかわりながら、生きられる町をどう再構築していくか。これはまちづくりの話ですね。インフラ整備を担う土木技術と、自分の専門であるまちづくりとデザイン、どちらも総動員しなければ解けない問題で、ライフワークに値する仕事です。
- 東日本大震災の復興事業への取組みについて聞かせて下さい。
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岩手県の大槌町の復興を支援するようになって、4年目です。
被災した年、2011年の秋から冬にかけて、都市工の窪田先生や建築の川添先生とチームを組んで、住民と議論しながら、全集落の復興基本計画策定を手伝いました。これは、シビルエンジニアとしての責任や総合力が問われる局面でしたね。その後、2012年度から昨年度にかけて、われわれのような専門家と行政、コンサルタント、設計事務所でチームをつくり、集落ごとに住民と議論をくりかえしながら、詳細な空間計画と主要な公共空間のデザイン方針をまとめてきました。ここでは、デザインやまちづくりの専門家としての専門力が試されたと言えます。
ぼくは、社会基盤の本質というのは、人間と自然の関係を、その土地のなかでどう定義し、具体の環境として実現していくか、という点にあると思っています。たとえば三陸は、一説によると、有史以来90回以上の津波を経験しているそうです。どれだけの人間がその犠牲になってきたのか、想像もつきませんが、それでもひとびとは、この地に住みつづけてきた。今回の復興でも、町民ひとりひとりが、あれだけの悲劇を経てなおこの町に住みつづけるかどうか、この土地とつきあって生きていくかどうかを、試されているわけです。まさしく、大槌という土地における人間と自然の関係の根本が問われている。単純に、防潮堤をつくるかつくらないかという議論に還元できない、地域や国土を生きる思想の問題です。
東北の復興は本来、海の恵みと津波の脅威、自然の両面とつきあいながらどのように共同体として土地を生きていくか、その思想を環境として具現化する作業なのだと思います。大槌で住民たちと復興基本計画を議論したときも、そのことをつねに意識していました。三陸において、海の恵みを享受することと、津波という災害リスクを受けいれることは表裏一体です。恵みだけを享受して災害リスクを完全に消去することはできない。これは三陸にかぎらず、日本のどこであっても、程度の差はあれおなじです。
自然災害とその復興は、人間と自然の関係をどう考えるか、その思想が問われますし、シビルエンジニアとしての信念や矜持も試されます。そういう意味で、もっとも社会基盤学らしいテーマのひとつといえるでしょうね。 - 地方の問題ばかりとりくんでいるのでしょうか?
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そういうわけではありません(笑)。東京でもいくつか仕事をしています。
ただ、たとえば大槌町にたいするスタンスと、東京にたいするスタンスはあまり変えません。掘りさげて考えれば、問題の根はおなじとみなすこともできるからです。たとえば、東日本大震災と90年前の関東大震災には、共通点があります。自然の破壊力が、都市に内在している矛盾を的確に突いてきた、ということです。
関東大震災のときは、インフラがほとんど近代化されていない状態のまま、殖産興業の国策のもと農村部の若年労働層がどっと都市部に流れこんできていて、おもに下町一帯が、ろくなインフラもない劣悪な密集居住地域と化していた。そこに直下型がドンときて家屋がのきなみつぶれて、一気に火が燃えひろがって、十万人以上が亡くなった。それが関東大震災です。
都市の矛盾を突かれたという意味では、東日本大震災もおなじでしょう。人口が増えた高度成長期、津波の通り道を埋め立てて市街地が拡大したけれども、その後空洞化して、実質的にはスカスカになりつつあった町を津波が襲い、そのぶん被害が広範かつ深刻になっている。 - いま、大都市の抱えている矛盾とは何でしょうか?
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心配なのは、都市を更新しつづける以外に、活力を生む方法をもっていないことかな・・・。都市再生のかけ声のもと、規制緩和でうまれた土地の余剰価値でビルを建て替え、高層化して床を増やしたりパブリックスペースをひねくりだして、都市をリバイタライズしていく。そうやって生まれる活力が途切れることのないよう、規制緩和をくりかえす。右肩上がりの、拡大成長時代のやりかたですね。
もちろん無限に規制緩和できるわけがない。いずれ建築容積も頭打ちになる。東京でも人口は減るし高齢化は確実に進行します。単身高齢世帯が増えて、密度のうすい街になっていくでしょう。それに、超高層分譲マンションのように所有権を何百人にも細分化してしまえば、その建物は大規模な修繕や将来の建て替えは困難です。五十年後か百年後か、超高層街区の空洞化と老朽化が社会問題になるかもしれない。そこにM9の地震がドカンときたら・・・。
われわれの社会はさまざまな矛盾をかかえていて、それが都市や地域の環境に顕在化しています。こういった問題の解決を考えるのがシビルエンジニアの役割であり、モチベーションです。社会背景が複雑化していることもてつだって、自然科学的アプローチはもちろん、空間計画や設計、コミュニティ論、財政、情報シミュレーション技術など、多様で幅広い理論や方法論が求められていることが、いまの社会基盤学の大きな特徴だと思います。 - 国際的な取組みについてお聞かせください。
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コロンビアのメデジンという都市で図書館を設計する経験をしました。研究室の先代の教授だった内藤廣先生をヘッドに、研究室の総力をあげて取り組みました。社会の矛盾の解決に、都市空間のデザインで貢献した、思い出の深い仕事です。
メデジンは治安の悪いコロンビアでももっとも危険な街のひとつで、そのなかでもとくに問題を抱えた地区に図書館をつくって、再生の拠点にしていく、というプロジェクトです。図書館というと、普通本を読んだり借りたりする閲覧室をイメージしますが、ぼくたちは、広場を主役にした図書館をデザインしました。なぜかというと、それまでながらく、メデジンのひとたちは屋外で自由に時間をすごすことができなかったからです。外に出ると誘拐されたり、殺されかねないからです。好きなときに好きなひとと、好きなように時間がすごせるパブリックスペース、それこそが、メデジン市民がこころから欲しながら手にすることができなかった価値なのですね。
ぼくたちのデザインは大成功でした。オープニング式典には二千人もの市民があつまり、ぼくらはハグされたりキスされたり、ようするにもみくちゃにされました。専門家としてあれ以上の幸福はありませんね。社会の問題のすべてを解決できるとはかぎらないけれど、プロジェクトがうまくいけば、市民の笑顔を確実にとりもどせる。ありがとう、と言ってもらえる。社会基盤の醍醐味です。 - 社会基盤学とは何でしょうか?
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たとえていえば、都市、地域、国土を診断して治療やカウンセリングをおこなう、臨床の知と技術の体系だと思います。調査や分析など、都市や地域の状態を多角的に診断する理論的な方法論。あるいは、インフラを整備してフィジカルな環境を改変していく外科的な方法論と、施策や制度によって長期的に地域の状態を整えていく内科的な方法論。
社会基盤学は、概念的には、都市・地域・国土の計画や運営を現場に即しておこなう際に必要な対象と方法論をすべて含んでいます。そういう意味でとても多彩な分野ですが、だからといってなんでもあり、ということでもありません。先に言ったように、軸足はつねに人間と自然の関係をどう考えて環境化するかに置いている。それが社会基盤学といっていいでしょう。 - 最後に学生にメッセージをお願いします。
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学生にいっしょうけんめいメッセージ送っても、聞いてもらえないからなあ(笑)。
自分の道は自分で見つけろ、ということに尽きますね。そして、迷ったときのために仲間がいて、教員がいる。ぜひ社会基盤にきて、前向きに悩みながらも自分の道をみつけてほしいと思います。